推しに手紙を郵送すること
推しに手紙を書くことに少しばかり疲れてしまったので、ブログの存在を思い出してこちらに認めます。
おたくの皆さんこんにちは。こんばんは。
手紙を劇場で預けられない日々、いかがお過ごしですか?
「この先どうなるんだろ、手紙書けないなんてまじでおたくの死も同然やん」「まじでそーぇなー」なんて友人とケラケラ笑っていたのはもう半年も前のことらしいです。マスクが見つからないなぁ。銀座の歩道いまなら人にぶつからずに走れるレベルだよ。世の中がやばいことになってきたなぁ。くらいの認識で、演劇界がこんなことになるとは思っていなかった頃。
まさかの5000字超えたので、お時間が許す方がいればどうぞ壁打ちのような戯言にお付き合いいただければ幸いです。
推しに手紙を郵送すること
さて、皆さんは推しに手紙を郵送していますか?
現場主義のおたく、元々めちゃくちゃ郵送してます!という人がいない前提として、
・次の現場まで空いたとき等、たまに郵送をする習慣のあった人
・1回も郵送したことがなかった人
・この状況になって郵送を始めた人
・送ろうと思いつつ未だに1回も郵送をしていない人
・劇場に預けられる日まで手紙を書くつもりがない人
・推しの事務所が郵送受付を停止している人
・送りたいけど*1送付先がない人
様々いらっしゃるかと思いますが、皆さんはどのような感じでしょうか。
ちなみに私は「1回も郵送したことがなかった」+「この状況になって郵送を始めた」人です。
推しは稽古を掛け持つのも稀ではないほど現場*2が多く、どんなに間が空いても1ヶ月程度だったので送ろうと思ったことがありませんでした。
もっと言うと、事あるごとに不信感が募る一方な事務所(FC)をあまり信用していないから送る選択肢はなかった。一つ前の投稿参照。
突然ですが、「推し」と呼ぶ界隈に移動してきた「自担」を持つ経験をしたおたくはどのくらいいらっしゃるのでしょうか。
ジャニーズを通ると「郵送した手紙は届かない」という謎の概念の存在を知ることとなり、手紙をファ○クラに送ることほど時間と労力の無駄はないと考えるおたくが圧倒的な数を占めているように思う。
ファミク○に送られた手紙の受け取り方法には諸説あるし、受け取ったような報告をたまーーーーにしている出来ジュもいるので所詮ジンクスだが、いずれにしても、「受け取りは自担による」ことが有力説となり「基本的に届かない」という根拠の無い感情がデフォルトとして植え付けられる。
(元・現)全ジャニヲタへ純粋に問いたい。届くと思ってファミ○ラに手紙送ったことある?
話は逸れたが、「郵送は届かない」と思っている感情の後遺症があるので、無論、推しに送る選択肢はなかった。
推しと手紙
現場がなくなってしばらく経ったある日、推しが発信した。
「手紙、送ってもらえれば嬉しいです」(超・意訳+文言は違うがそういうことだ)
昔は知らないが、私がファンになってから★年間、手紙を送ってという推しの発言をきくのは初めてだった。(劇場・郵送含む)「手紙受け取りましたありがとう!」みたいな報告も基本的に一切しない。
手紙を読んでいるのは十分に分かっている。実感していてもTLでそのような言葉が流れて来るたびに、いいな〜〜〜〜〜〜〜〜と思うこともあった。おたくはめんどくさい生きものである。
だからとにかく本当に本当にとても驚いた。
そんなある日、48メンバーの子が「(握手会がなくて)みんなに可愛いって言ってもらえなくて自信なくす〜〜ぴえん」みたいな発言をしていたのを該当おたくの友人からきいた。なるほど、アイドルもそういう感情になるのか。*3
そしてそのときに我に返って改めて考えた。
きっと多いときで1ヶ月に何百通という手紙を受け取っていた推し、3月からどれくらい手紙を読んでいるのだろう。おたくから日々、かっこいい、かわいい、好き、大好き、好き、大好き、大好きーーーーーー!!!が大渋滞している手紙の数々を受け取る我らの推し、いま、1ヶ月を平均して1日1通も手紙を読めない日もあるのでは?????
おたくの日常、超どうでもよくない?
(だいぶ前置きがあったが)結論から書くと、とりあえず推しが発言した翌日に送りました。
はてブロの手紙投稿を片っ端から読んでいると、「自分語りは絶対にしない」という人が多くみられる。私も基本的にはその一人だった。だった。おたくの日常、超どうでもよくない?
もちろん現場の日々で劇場に預ける手紙には基本的に「感想」を書くが、その肝心の現場がない日々、当たり前だが推しに関して書けることはほぼない。あるのは月1更新されるかされないブログと、チケ先行以外に稼働していないFCの存在、そしてコンテンツがKUSO過ぎて逆に病むので潔く見るのをやめたオンライン云々だ。
最近では舞台も少しずつ再開したので、観劇した作品の感想、これ観てこう思った、推しのこういうところ思い出した、推しと過去に共演したキャストがいる作品ならなおさら書きやすい。でも今までのように週に何度も観劇しているわけでもない。送る手紙に毎回別舞台の感想ばっかり書くわけにもいかない。
つまり継続的に手紙を書いて届けるとしたら結局日常しかないのだ。
ある日、元宝塚某女優さんが、「自粛の日々でネタがない!!!みなさん暑い日々いかがお過ごしですか。ぜひこんな話聞きたい等のリクエストください(意訳)」と投稿していたのを拝見した。
けっこう、「新しいこと」には消極的な推しなので、この期間に新しいことにチャレンジしました!!ピアノ触ってみました!!!みたいな推しではないので、失礼は承知で控えめに言って時間は持て余していると思う。
仕事があるかないかで言ったら全然無い今*4、たぶんだけど、自分のおたくの日常を手紙で読むことは推しにとって仮にどうでもよくても、苦ではないだろう、という思考の結論に至った。希望的観測を含む。でも、送ってもらえれば嬉しいですと言ったと書いたが、流れのなかで最近なにしてますか〜みたいなことも言っていた。
「今日、お昼にハンバーガー食べました〜!推しくんはハンバーガー好きですか〜?」
「ヒル○ンデス観てたらこんな特集してて、あーでこーで」
「仕事でこんな人と会って、うんたらかんたら」
これ1行だけ書いて手紙送るわけじゃないし、うん、べつにこういうことを含めて書いてもいいんじゃない?と思えてくる。*5
今だからこそ書けるし、書いてもいいと思えることがたくさんある。
(いや、普段から書いたらいけないわけではない。あくまでも気持ちの問題。)
そんなこと書くなら手紙書かなくていいだろって意見もあるのは承知です。
でも私はいま、手紙を書いて送るという行為そのものに意味があると感じています。
そして継続的に手紙を書いて届けるとしたら結局日常しかない。(2回目)
手紙を書く理由
どうでもいいことを書くこともありつつも現時点ですでに★★通を郵送済みだ。
それがいつ推しの手元に渡っているかというと、なんだかんだおそらく1週間以内くらい。
我ながら、よくこんなに書くことあるよな、と思いながら手紙を書いている。
舞台を観ればいつもは手紙を読んでくれているのが分かる推しに郵送しても手紙が届いているかなんて流石にわからないし、なんだかなー。と本気で思いながら送り始めて少し経った頃、あることをきっかけに改めて気づいたのだが、推しはおたくをてのひらで転がすのが相当うまい。相変わらず受取報告があるわけではない。でも月1くらいは更新されるブログから伝わってくる。やっぱり推しが好きだ。(ちょろい)でもその好きは続いても数日、所詮数時間だ。おたくはなんて情緒不安定なのだろう。
送ってと推しに言われて手紙を書いたとき、すでに書かない生活を送って数ヶ月が経っていた。本当に久しぶりにペンを握って、楽しくて、あぁ私はやっぱり好きな人に手紙を書くのが好きなんだなぁと実感した。
劇場で手紙を預けたいというのはもちろん本音だけど、その気持ちを盾に郵送はしない口実にしていたのかもしれないと考える。
推しが送ってと言ってくれなかったら、いまも送らない日々を悶々と過ごし、供給がほぼ無く、あるもの*6は推しを好きなままでいられたかすら分からないのが正直なところである。
とにかく感情を推しにアウトプットすることでメンタルも保てている気がする。推し、いつもにも増して喜怒哀楽が激しい手紙送りつけててごめんよ。受け取ってくれてて、読んでくれてて、ありがとう…。
最近はもう、ちょーーくだらないことでも推しなら笑って読んでくれてるんだろうなと思って書いてる。
ちなみにKUSO過ぎて観るのをやめたオンライン云々は、将来的に同じコンテンツ配信を繰り返されると無理of無理なので、その意見も込めて「私は見ない」ことを理由とともに推しに伝えた。初めて推しの仕事をまるまる「見ない」選択肢を自らとった出来事だった。そして「触れない」意思表示ではなく「触れる」意思表示をした。私はもともと推しを褒め称えるだけの全肯定おたくでもない。兎にも角にもそれくらい私には無理だった。そして触れないことにより、いつか繰り返される可能性があるのであれば、触れることによりそう思っているおたくもいる。程度の意見だけは伝えておきたい。そう思って普通に伝えた。(現在進行系で続いているオンライン配信。いつ終わるんだろ?)
無事の上演を祈っている推しの現場はまだ少し先だけど、今はとにかく「好き」って自発的に書いていないと、自分の感情が分からなくなるスパイラルに陥る。これは私に限らず、おたくあるあるだと信じる。もちろんたぶん、いや、確実に好きなんだけど、舞台観たら好きなんだけど、供給がなさすぎて好きかわかんなくなる。あとその無い中で供給されるものを有り難く受け取れる内容ではない*7のでなおさら。
正直、まわりまわって本当にアホらしい。そして疲れる。こともある。否、ことばかりだろうか。
普段ならぜったいに気にならないような推しのちょっとした一言が気に障ってしまったりする。
オンry( のなんとかでファンとの交流が完結しているなら、べつに手紙送らなくていいんじゃね?????って気持ちにもなる。オry( のやつ、1回無理!って思ってやめてから、その2ヶ月後くらいに勇気振り絞ってもっかい一瞬見たけど、やっぱ無理だからファンとのやりとりとかどうなってるのか知らんけど。推しだけに届けたいから、ry( に自分の言葉を載せたいと少しも思えない。
でも今ここで手紙を書くのをやめてしまうと、もうこの先ずっと、手紙が書けなくなってしまう予感がする。
それはぜったいにだめだ。
自分のために、推しのために、義務で手紙を書いているわけではない。
もちろんいつも120%私が書きたくて推しに好きとありがとうを伝えたくて書いてる。
ただ、今はそれだけじゃない気がなんとなくする。
偽善だと思われても、自意識過剰でも、なんでもいい。
手紙を書く行為に意味がある気がしている。
あとはそう思っていないと、書き続けられない(笑)
最後に
もう少ししたらたぶん稽古も始まって、そのうち現場も始まります。始まるといいな。
劇場に手紙を預けられないから、まだまだ送るしか伝える術はなくて。
でも推しにとってもリアルタイムでファンの声が上がってこないのは初めての舞台になるのだと思う。オンライン経由で届く感想は知らん*8。
手紙を受け取ったなんて言葉で報告してくれないけど、ファンのリアクションを常に気にしていることは知ってる。マチネに預けた手紙はソワレまでに必ず読むことは知ってる。手紙に重きをおいてくれてることもわかってる。そう言えるくらいの信頼も関係もちゃんと推しと築いてきた。
だから全公演終わったあとじゃなくて、期間中に可能な限り書いて届けようと思ってる。舞台期間中に、1通でも手元に渡るといいよね、って願いながら。
まずは、無事に舞台の幕が上がりますように。
相変わらず、毎回届いている実感があるわけではないけども、少なくとも「郵送?いやー届かないっしょw」って思ってた私のその感情は無くなりつつあるし、手紙が送りやすくなったことは紛れもない事実なので。劇場に預けられる日々に戻っても、千穐楽の翌日に、今までは2-3週間後の次の現場の初日まで待った千穐楽の感想を書いて郵送するんだと思う。
寿司と手紙は鮮度が命!!!ってすが家のけんたくんが前に言ってた!!*9
推し、「手紙送って」って言ってくれてありがとう。
毎日状況が変わりながら、ものすごいプレッシャーとストレスと闘う稽古と本番の日々のなかで、ほんの少しだけでも推しにとってチカラになっていればいいんだけどなー、なんて事を考えながら、
推し、好きだよ!応援してるよ!って手紙を今週末も書くんだと思う。
推し、大好きだよ!劇場でね!